こんにちは、ピースケです。
今日は、京アニの青葉容疑者が回復したことについて考えていこうと思います。
意思表示ができるまで回復
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記事によると、
・京アニ放火殺人事件の青葉容疑者が命に別条がない状態に回復した
・うなづくなどの意思表示ができる状態になった
・まだ会話ができる状態ではない
・逮捕のめどは立っていない(まだ数ヶ月以上かかる?)
とりあえず死んで終わりってことにならなかったのはよかった。
何を語るのか?とも考えるが、到底納得できるものではないんだろうなぁ。
無敵の人
青葉容疑者のような無敵の人(失うものが何もない人)への対策をそろそろ本気で考えないといけないのではないだろうか。
生い立ち
青葉容疑者の生い立ちはひどいものです。
1978年(0歳)父親と不倫相手との間に生まれたのが青葉容疑者です。
父親は不倫相手と駆け落ちして、その後離婚。
父親と青葉容疑者と兄、妹の4人暮らしの生活は極貧でした。
青葉容疑者が夜間高校を卒業後、職を転々としていた頃に父親が自殺。
1998年頃?(20歳)兄妹とも疎遠となり独り暮らしをはじめる。
2006年(28歳)下着泥棒
2012年(34歳)コンビニ強盗、自主して逮捕、服役
2016年(38歳) 服役後に更生施設で生活
2016年7月(38歳)更生施設から退寮し、さいたま市のアパートで独り暮らし
2018年(40歳)住民との間で度々トラブルを起こす
2019年7月14日(41歳)アパートの隣人とのトラブル「 お前殺すぞ!こっちは失うものは何もねぇんだよ! 」
2019年7月18日(41歳)京都アニメーション放火事件
原因
生い立ちが酷いことはわかるのですが、このような酷い生い立ちのであっても青葉容疑者のような無敵の人になってしまう人は特別であるわけです。
ほとんどの人は普通に生活しています。
では、どうしてこんなことに?
経済的困窮
一つは経済的困窮です。職を転々としていた青葉容疑者は収入が安定していなかったのでしょう。
生い立ちを考えると状況は厳しいのですが、20歳頃から28歳下着泥棒をするまでの間は、職を安定させて経済的基盤をつくることができたのではないかと思うわけです。
もしくは34歳(コンビニ強盗)までの間に…
なぜ、それができなかったのか?
社会的孤立
やはり社会的孤立が大きな原因だと思います。
兄妹との疎遠がなければ、だいぶ違った人生になっていたように思えてなりません。
父親の自殺が大きな影響を及ぼしていたのは想像に難くないですが、なんとか兄妹と助け合って協力し合って生きていくことはできなかったのだろうかと…
離婚した母親との関係も多少はあったようなので、孤立しないようにしていけなかったものかと…
社会的孤立は人の心を殺してしまうんだなぁと
これを防ぐためには、もっと社会的コストをかけてもいいと思う。
それだけの価値がある。
安楽死で死なせて下さい
「渡る世間は鬼ばかり」の脚本家 橋田壽賀子の往生論です。
著者が「終活」を始めたのは89歳の時でした。きっかけは著者のことをママと呼んで親しくしている女優の泉ピン子さんから「ママはもう90なんだから、じゅうぶん歳を取ってるんだよ」と言われたことでした。夫に先立たれ、子供もなく、親しい友人もいない天涯孤独。仕事もやり尽くし、世界中の行きたい所へも行きました。やり残したことも、会いたい人もいない、もう十分に生きたと思いました。遺言は80歳の時に作っておいたので、まずは物の整理から始め、今までのドラマの原稿、ビデオテープ、手紙類などを大量に処分しました。あとは人に知られずにひっそりといなくなり、死んだことも公表せず、葬式や偲ぶ会もしないと決めたのです。
引用:楽天
ただ、唯一気がかりなことは、病気になったり、認知症になったりして、人さまに迷惑をかけることです。それは著者の尊厳の問題でした。死ぬ時に痛いのや苦しいのも勘弁してほしい。いつどうやって死ぬのかはやはり自分で決めたいと思った時に考えたのが「安楽死」です。しかし、現在の日本の医療現場で安楽死は許されていません。ヨーロッパの国やアメリカの州のいくつかで合法化されていますが、日本人が安楽死を希望する場合はスイスのNPOを頼ることになります。そのため著者は、日本でも法を整備し、自らの死に方を選択する自由を与えてほしいと主張します。もちろん、あくまで本人が希望し、周りの人の理解が得られた場合です。
ポイントは、「人さまに迷惑をかけたくない」「そのためには安楽死を選択したい」ということです。
筆者は病気や認知症を想定していますが、「無敵の人」の暴発を想定に加えることも可能だと思います。
青葉容疑者もいきなり精神を病んで「無敵の人」になったのではないでしょう。
いろいろ思い悩んで、追い込まれて、苦しんだ挙句に蝕まれていったのでしょう。
個人的考察
自分は、橋田壽賀子氏の主張に賛成です。
橋田氏は、「身寄りがいないので、体が動かなくなったら、世話をしていただくのにいっぱいお金がかかる。そう思うと、お金も自由に使えない 。 保険みたいに安楽死があれば、元気なうちにお金が安心して使えるんです。」と主張する。
共感できる方は多いと思います。
今まさに、絶望の淵に立っている人も「うまくいかなかったら安楽死がある」と思えれば、困難にも立ち向かっていく勇気が出るものではないでしょうか?
>>関連記事 【ワンイシュー】安楽死制度を考える会とは
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