こんにちは、ピースケです。
今日は、介護殺人について考えていこうと思います。
介護していた91歳の母親を殺害した娘
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記事によると、
・実家で介護していた91歳の母親を殺害したとして娘(64)が殺人罪に問われた
・裁判長は、突然娘に窒息死させられた被害者の身体的、肉体的苦痛は察するに余りあるなどとして、懲役3年(求刑懲役7年)を言い渡した
・ 裁判長は量刑の理由で、認知症で普通の会話も難しく夜中に大きな声でわめくこともあった久子さんの排泄物の処理を宮崎被告が頻繁に行っており、介護の負担は客観的に見て少なくないとしつつも、
「懸命に生きようとしている母親を独断で殺害したことは身勝手である」と述べた
…
だそうです。
娘は身勝手だったんでしょうかね?
他に選択肢がなかったかと言えば、あったでしょう。厳しいものでしょうが…
つらいですね、無間地獄。
こういう事件は定期的にあります。
2週間に一度という頻度で介護殺人はおこっているそうです。
この問題は当事者の自助努力では解決困難です。社会全体で考えていかないといけません。
平均寿命と介護費用
平均寿命が延びると介護費用はどんどん増えていきます。
現在ザックリ介護費用の総額は10兆円規模といわれています。
このまま平均寿命が伸び続けると、当然介護費用の規模も拡大の一途を辿ることになります。
平均寿命が延びる = 医学の進歩
といえるのかもしれませんが、果たして喜ぶべきものなのでしょうか?
長生き自体が幸せではないと思います。
やはり自分の意思で、自分の体で、健康に生活できること。そうでないなら、ただ寿命が延びることを喜ぶことはできないです。
救いがない
要介護の認知症がどんどん増えて、介護費用がどんどん増えていく社会
少子化で、支える人は減っていく社会
こんな社会に希望が持てるのでしょうか?
介護殺人も当然増えていくのでしょう。他人事ではありません。
実の親子であっても殺意を覚えるような絶望的な状況、施設で赤の他人であれば尚更です。
殺人までいかなくとも虐待事件も頻発する状況です。
なぜ人は死ぬまでの10年程の期間、莫大な費用をかけ介護を受けないとならないのでしょうか?
それが自然な状態だとは思えないわけです。どうしても違和感があります。
認知症がすすみ要介護の状態では生き続けることはできないのが自然な状態だと思います。
個人的考察
医学の進歩は望ましい部分も多いと思います。
自分は、QOL( クオリティ・オブ・ライフ )が充実する方向であることが重要であると考えます。
健康寿命を伸ばすことが重要であります。平均寿命の伸びよりも健康寿命がより伸びるようでないと無意味だと考えます。ちなみに現状、無意味な状態です。
健康寿命が伸びて平均寿命は縮む方向に進むことが理想といえます。
つまり死ぬまでの期間で不健康な期間(要介護状態の期間)をゼロに近づけることが今後必ず実現しなくてはならない重大な課題なわけです。
(税金でも自分のお金でも)お金の使い方として、介護に大金を使うよりも、健康寿命までの期間に使う方がQOLとして有効でしょう。
将来介護に大金を使うことが予想されれば、なかなか消費に回すことができず結局QOLを下げることになる。
世論調査では7割以上の人が「安楽死」に賛成しています。
認知症で家族の顔も分からなくなり、糞尿を垂れ流す状態になれば更に「生きていなくない」と考える人は増えるでしょう。
健康寿命まで楽しんで人生を全うし、それ以降はなるべく早く死ぬ。
それが目指すべき未来でしょう。「ピンピンコロリ」というやつですね。
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