【究極の選択】トロッコ問題「死ぬのは5人か1人か」

こんにちは、ピースケです。

今日は、トロッコ問題を授業で扱った小中学校が、確認不足だったと謝罪したことについて考えていこうと思います。

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授業に不安を感じている?

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引用:毎日新聞

記事によると、

・山口県の小中学校で「トロッコ問題」を資料にした授業があった。

・児童の保護者から「授業に不安を感じている」との指摘を受けて、両校の校長が授業内容を確認していなかったとして、児童・生徒の保護者に文書で謝罪した。

面白い授業ですね。

何か問題があるのでしょうか?という印象です。

「授業に不安を感じている」とはどういうことなのでしょうか?

答えがよくわからないからなのか、生死を扱う内容だからなのか、…

世の中にはそういう問題にあふれています。

小中学生がそういう問題に触れて話し合いをするような授業はとても有意義に感じるんですけどね。

トロッコ問題とは

引用: Wikipedia

トロッコが進む線路の先が左右に分岐し、一方の線路には5人、もう一方には1人が縛られて横たわり、分岐点に人物がいる。

このまま進めば5人が線路上に横たわっている。あなたが分岐点にいて、レバーを引けば1人が横たわっているだけの道になる。

トロッコにブレーキはついていない。

「あなたはレバーを引きますか、そのままにしますか」と質問する。

「何もせずに5人が死ぬ運命」と「自分でレバーを引いて1人が死ぬ運命」のどちらを選択するか?

というもの

「ある人を助けるために他の人を犠牲にするのは許されるか?」という倫理学の思考実験です。

いろいろな考え方ができると思う。例えば

・レバーを引くと自分に責任が生じるのでそのままにする

・レバーを引くとより少ない犠牲者で済むのでレバーを引く

・レバーを引くと本来死ぬ危険がなかった人を死なせてしまうので引かない

とか、

また、設定を変えると選択が変わってきたりするかもしれない、例えば

・5人は面識のない作業者で、1人は自分の友達であった場合

・5人はかなりの高齢者で、1人はたまたま迷い込んだ子供だった場合

とか、

いろいろな場面、立場で考え方を学ぶことができると思う。

答えは出ないと思うが、そういうことが現実に起こりうるということをいろいろ議論したりすることは有意義なことだと思います。

神経質な保護者 神経質な学校

保護者も学校側もちょっと神経質過ぎますね。

例えば、この場合はこうするのが正解なんだ、とか決めつけて教えるとか、そういう授業だったなら問題かもしれないが、

正解のない問題や、命を扱った問題自体は子供のころから触れていった方がいいのではないだろうか。

他人や自分の心の痛みを考える事で心は成長していくので、この授業はまっとうな道徳心を養う授業になると思われる。

個人的考察

子どもが不安を訴えたのなら、保護者として聞いてあげればいいし、一緒に考えてあげればいい。

学校側も自信をもって、授業の意義を説明すればいい。

子どもを無菌室の中で外界と遮断するような対応では、教育にならない。